なぜ成年後見に弁護士が必要なのか! その2

小此木清 2011年7月 9日 14:41

私は,「弁護士が市民後見人を養成し,自ら専門職後見人あるいは,専門職後見監督人として,今後,このような成年後見業務を担っていくべきだ」と述べた。それは,一途に後見を利用する高齢者が負担する費用問題からである。私は,高齢者が元気でいる間は,ホームロイヤーとして月5千円,その後,高齢者が判断能力に困難が生じ,任意後見人として就任した場合には,月3万円の費用がかかる旨,小冊子「快適に老いる!」で説明した。しかし,大多数の高齢者の方々には,これでは費用が高すぎるとの印象を持たれたようで,利用者は現状わずかにとどまっている。

ところで,日本国内には,認知症などの人たちが少なくとも500万人いる。しかし,このうち後見が行われているのはわずか15万人にすぎない。このため,本人が自分の資産を「使えない」という問題が起きている。すなわち,判断能力が不十分になってくると,保険金,配当金,年金などが自分の口座に振り込まれても,自分の思うようには使うことができない。これでは,何のために稼いで,かつ自分の老後資金として貯めてきたのかわからない事態となっている。しかも,今の日本の高齢者社会では,介護と後見の,高齢者問題における車の両輪のいずれもが予定した成果を上げていない。介護では,介護者が高齢者の生活の質を上げるのではなく,過失の責任を求められないようにするために汲々としている。例えば,転倒のおそれがある高齢者には車いすで,しかも,車いすから立ち上がらないように足下を拘束する。夜間には,徘徊しないように睡眠導入剤を服用させる…。後見では,相続問題の前哨戦となる後見申立がなされ,弁護士が後見人就任となるが,同人によれば,財産管理は可能だが,身上監護はできないなどと宣う。私は,「ばかやろう」と叫ばざるを得ない。

 
それゆえ,介護・後見の質を上げるには,弁護士は,後見の現場から半歩,身を引き,市民後見人養成に力を注ぐべきだと考えた。市民後見人は,弁護士と共同して,あるいは,監督の下,身上監護に力を注ぐ。そして,介護現場に対して,きちんと担当高齢者の生活の質を上げるための介護を求めていく。判断能力が不十分な人が生きるということはどういうことかを,後見の中心に据えて判断・活動していくべきなのだ。

そして,「判断能力が不十分な人が生きる」ということは,本人が事前に自分の「快適に老いる!」生き方を指示すべきなのである。 事前指示書の普及によって「快適に老いる!」指針ができあがることになる。